なりきってセリフを言うのは、わりと近道なのでは

「雷雨」というタイトルの、とんでもない悲劇を上演した。

僕が通っていた大学には「語劇祭」という演劇のイベントがあり、各学部の有志の学生が、自分の専攻している言語でお芝居をやっていた。僕はそこで4年間毎年、中国語で演劇を作っていた(中国語専攻だったんです)。これは3年生のときに上演した劇の脚本だ。

いま振り返ってみると、この「語劇」に参加していた学生は、外国語を話すことにわりと親しんでいたのではないかと思う。そして、喋られるようになるのが早い人が比較的多かった印象がある。

“なりきってセリフを言うのは、わりと近道なのでは” の続きを読む

継続することについて④ 【習い事が続かなかった】

僕は、習い事が続かない子供だった。サッカーと水泳を習いに行ってたことがあったけど、なんとなくやりたくなくなって、すぐに辞めてしまった。

辞めた当時は、ものすごく申し訳ない気持ちになったように記憶している。今考えてみると、親の期待に答えられなかったことが、申し訳なかったんだと思う。

「そりゃ辞めるわ」と、今なら分かる。サッカーもプールも、自分からやりたいと思っていなかったから。

“継続することについて④ 【習い事が続かなかった】” の続きを読む

継続することについて③【グッドバイ・フェードアウト】

やりたかったはずなのに、あるいはやると決めたはずなのに、フェードアウトしてしまった。そんな経験、ありますか?僕にはある。壮大な抱負を年始に掲げたりするんだけど、年末には抱負があったことすら忘れている。誰や、「今年は歴史を勉強する」なんて言ってたの(私だ)。

挫折したことはさておき、習慣的にものごとに取り組む助けになっているのが、「ほぼ日手帳」だ。使い始めて4年になる。僕の使い方は、こうだ。見開きの左側の日付のあるページには「やったこと」、右側の白紙のページは、メモとして使っている。

“継続することについて③【グッドバイ・フェードアウト】” の続きを読む

継続するということについて② 【やりたくても、やりたくなくても】

「継続」という話題の前回の投稿に、お友達からFacebookでコメントをもらった。「毎日絵を描こうと思ってたんだけど、一日坊主になっちゃう」って。僕は、「しょうもないマルから、嫌々描き始めたらいいんちゃう?」とお返事した。

これ、8割は冗談で、2割はマジでおすすめしたい気持ちだった。とくに、「嫌々やる」という点。というのは、何かを継続的にやるのに、僕は「やる気は当てにならない」と考えているから。日によって、あるいは時間帯によって、人間の体調とか気分は刻々と変わっていっちゃうもんじゃないだろうか。

“継続するということについて② 【やりたくても、やりたくなくても】” の続きを読む

継続するということについて ①

勉強でもなんでも、「なにかを続けるのが苦手」という人は少なくないみたいだ。

noteという文章を投稿できるサービスがあるんだけど、そこには「noteを毎日書くためのコツ」という趣旨の文章がめちゃくちゃいっぱいある(笑)。やはり関心を持っている人はいるんだろう。

実は、これをテーマに文章を書きたかった。だがずっと二の足を踏んでいた。というのは、「自分は継続性があるんでっせ」というようなことは、自慢にしかならへんやんけ、と考えていたからだ。

たしかに僕は継続的に何かをやるのに向いているから、その立ち位置から物を書くことになるしね。

“継続するということについて ①” の続きを読む