おもしろい喋りをするには

「ラジオ番組をつくる」とあちこちで言っていて、いよいよ後戻りが出来なくなってきた(やめるつもりはないけど)。それで、「どうしたらおもしろく喋れるかなあ」なんてことを日常的に考えている。

村上春樹さんは野球を観戦していて突然「小説を書こう」と思い立ったそうだが、僕の場合は突然「ラジオ番組をつくる」と思い立ったわけではなく、ちゃんと経緯のようなものがある。

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好きなことは売らなければいけないのか

僕のお友達に、エクセルやパワーポイントを駆使して「ボードゲーム」や「クイズ大会」をつくる人がいる。「えっ?ExcelとPower Pointで?」と驚かれるかもしれない。そうなんです。彼(Tくんと呼ぼう)は、表計算とプレゼンのソフトで、ものすごく複雑な遊びを作るのだ。先日、Tくんが開発した「ボードゲーム」のお披露目があり、参加をさせてもらった。

その出来のあまりのすばらしさに、参加者からため息が漏れた。ゲームの物語性、ところどころに散りばめられたクイズのバリエーションに(数百問だそうだ)、パラメータを自動で計算する仕組み、そしてなんといってもエンターテインメント的演出など、参加者全員が心の底から「おもしろい」体験をした。みんな口々にゲームとTくんを讃え、僕は「これは売れるんちゃう!?」というようなことを言ったのだった。

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「できない」からこその喜び

ずっと、自分自身に「やるやる詐欺」をしていたことがある。それは、ピアノを弾くことだ。弾けるようになりたい曲があってスコアをとりよせたのだが、一年くらい放置していた。

僕の「やりたいこと」は、だいたい面倒なことだ。おかしな言い方かもしれないが、練習や忍耐が要るものってめんどくさくないですか?フルマラソンを走るにはトレーニングが必要、と言えばわかりやすいか。面倒だから、なにかすこしでも優先度が高いものが現れれば、わすれてしまう。そんな簡単に忘れられることが本当にやりたいことなのかどうかも、そもそも疑問だけど。矛盾しているね。

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わけがわかってなくても、いつか

とあるところで、小学生たちと英語をやっている。「やっている」と表現するのは、「教えている」と言えるほど高級なことでもないから。スタジオ・ジブリやディズニーの映画の脚本を、一緒に英語で音読している。

一昨年の夏頃、とある人に「のぶをさん、英語のレッスンやってるんでしょ?子どもたちに英語でなんかやってよ」と頼まれた。小学生に文法のレッスンなんかをやってもつまらないし、苦肉の策のつもりで思いついたのが、これだ。

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ラジオ、良いです

去年の暮れから、ラジオを聴き始めた。「おいら、ラジオ番組を持つんだ!」などと意気込んでいるけど、実はラジオ番組がどういうものか、あんまり知らないことに気がついた(知らないのにやりたいなんて、アホじゃないか)。それでFMラジオが聴けるアプリをスマートフォンに導入して、聴いている。ラジオ、好きかもしれない。いや、もう好きだ。

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