「もう歳だし」というような表現が、たまに人の口から飛び出す。そのことばに込められたニュアンスは様々だと思うけど、「加齢による不具合のために◯◯できない」という意味で言われる場合について、ちょっと思うことがある。
僕の母親が、まさにこのニュアンスでたまに「もう歳だし」を口にする。それで何かを諦めているように見える。66歳が「もう歳」なのか、僕はその年齢になったことがないので、よくわかない。歳でなにかができないなら、おそらくそうなんだろう、と思うしかない。
一方、義理の母は、昨日76歳になったが、現役で働いているし、テニスもやっている。彼女の口から、何かをやれない理由としての「もう歳」は聞いたことがない。先日ばっちり病気のために手術をしたところなのに、とてもハツラツとしているように見える。二人のこの違いは、何なんだろうか。
僕は絶対に「もう歳だから」というせりふは使うまい、と思っている。だってダサいもん。そう思うのは、僕がもともと諦めが悪く、弱音を吐かない性格だからかもしれない。こう言うと(人には面と向かって言わないが)、「だって歳は歳なんだよ!あんたにその痛みがわかるのか」とかんかんに怒る人はいるかもしれない。
僕自身の話をすると、ここ最近腰や背中や足の裏がずっと痛いし、なにかを思い出すのに時間がかかるようになった。また、ちょっと運動しなければ走るペースをもとに戻すのに長い時間がかかるようになったのは、加齢の影響ではなく、何だろうか。だけど「そりゃあ、歳だもんなあ」と声に出して言ってしまえば、その瞬間、負けにひとつ近づいた気持ちになっちゃうに違いない。
僕には、フルマラソンをまた完走する夢がある。何としてでも、走れる身体に戻りたい。それで体力を落とさないために、日々ウォーキングをやったり、「リングフィット・アドベンチャー」を使ってフィットネスをやっているのだ。猫には不思議そうに見られているけれど。
結構前に、80代の男性が「アイアンマンレース」と呼ばれるトライアスロンにチャレンジして完走したというニュースを読んで、すごく心を動かされた。ラン・スイム・バイクそれぞれの種目がとんでもない距離のレースだ。いま調べてみると、この方は60歳になってから水泳を始めたらしい。マジかよ。
https://www.city.yachiyo.chiba.jp/11500/page100001_00032.html
僕の好きな作家さんである村上春樹さんは、僕と同じ29歳ごろに走り始めて、70歳を超えた今でも走っているそうだ。村上さんは、たしか50代で100kmのウルトラマラソンを完走していた。彼が読者の質問に答えたコメントがまとまっている本があってね、そこに「40代なんて僕からするとまだ青年みたいなもんですよ」という表現があった。とても希望が持てることばじゃないですか。
「もう歳」なのかどうかは、自分次第なのだなあ、と思うよ。外国語の勉強を始めるのだって、同じなはず。