大晦日だ。妻が仕事で外国にでかけているので、年末年始は猫の「みんとくん」と二人で過ごしている。ここ数日TVやソーシャル・メディアに触れていないことも相まって、近年まれに見る静かな環境で過ごしている。
何日か前に、年内はFacebookとInstagramを使わないでおこうと決めた。ソーシャル・メディアで人々が発信している自慢に嫌気が差していたタイミングだったし、「どうせ猫と二人なら徹底的に静かに過ごしてやろう」と思い立ったのだ。
僕は普段からFacebookは使う習慣がある。暇があったらつい癖のように、スマホでFの青いアイコンを探し、どんな情報がアップデートされているのかを確認する。正直、依存気味だと自覚していたのだが、いったん「見ない」と決めたら、意外と平気だった。そして、普段からいかに雑念に支配されているかに気づくことになった。
ソーシャル・メディアを使う環境下だと、誰かが言った何かが、常に頭のどこかにある。それだけでなく、自分が言ったことが誰かの関心を引いているのではないか、ということも気にしている。ひとりでいるのに、他の人のことで自分自身を忙しくしているのだ。
そんな状態で、じっくりとものを考えたり、深く感じたりすることなんて難しい。なにかを考えてるつもりでいても、実は物事に反射しているだけ、ということも少なくないんじゃないだろうか。
さっき、散歩にでかけたときに見た空が、とても綺麗だった。夕陽が染めた雲の色に、どういうわけか少し寂しいような、懐かしいような気持ちになってね。こんなふうに感じたのはいつ以来だろう?こころに余裕ができたから、普段見ていないものが見えるようになっているのかもしれない。
僕には、SNSを通して知らなければいけない人の動向なんてないし、人に言いたいことも特にない。暇も、寂しさも、埋めたりせずにそのまま一人ぼっちで感じていればいい。普段見過ごしがちな自然の変化、自分の気持ちに気づけているほうが大事なんじゃないだろうか。