わけがわかってなくても、いつか

とあるところで、小学生たちと英語をやっている。「やっている」と表現するのは、「教えている」と言えるほど高級なことでもないから。スタジオ・ジブリやディズニーの映画の脚本を、一緒に英語で音読している。

一昨年の夏頃、とある人に「のぶをさん、英語のレッスンやってるんでしょ?子どもたちに英語でなんかやってよ」と頼まれた。小学生に文法のレッスンなんかをやってもつまらないし、苦肉の策のつもりで思いついたのが、これだ。

あるシーンの英語と日本語のセリフを載せたスライドを見せ、僕がやるのに倣って子どもたちが英語を音読する。そのあと、たとえば「◯◯さんは湯婆婆、◯◯くんは釜爺ね」という具合に役を振り分け、それぞれに読んでもらう。

こんなので英語力があがるわけはないのだが、どういうわけか、子どもたちが継続して来てくれている。集まり自体が完全に任意なので、つまらなければ別に来なくてもいいのにね。

役になりきれるのがいいのかもしれない。おじさんキャラを演じるのが好きな子がいたり、ただ声を変えて笑いを狙ってくる子がいたり。はっきり言って、英語はあまり理解していないと思う。

だけど、1年以上続けてみて、「これは意外と良いかもしれない」と考え直している。というのは、わけがわからないなりに音読をしているわけだから、英語の音の記憶は身体に残るのだ。小学生の記憶力は尋常じゃなく良い。

だから、彼女ら彼らが本当に英語を学ぶタイミングになったときに、「お、これ聞いたことあるぞ」となるはずなのである。上手くいけば「はあ、あのときのセリフはこういう仕組みだったのか」と言う具合に、あとから納得してくれるはず。少し遠回りだけど、英語学習には貢献できてると信じている。

「わけがわからないなりに、楽しくやる」、これってコドモだから出来ることなのだろう。大人があまりこれが得意ではないのは、理屈から入るのに慣れちゃっているからなんだろうな。

※写真のような資料を切り貼りして売っているわけではないので、たぶん僕のやっていることは大丈夫なはずです。権利とかね、いろいろあるじゃないですか。

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