人の関心と時間が奪われる

今朝、近所の内科で4回目の新型コロナウィルスのワクチン接種をしてきた。副反応で、肩がものすごく痛い。2回目の注射のときには、39度くらいの熱が出たことを思い出した。「あのときは震えがすごくてさあ、あんな経験もういいよ」なんて僕は愚痴っぽく語るんだけど、よく考えると、ワクチンは重症化を防ぐために誰かが一生懸命開発してくれたすばらしいテクノロジーなんだよな。感謝しなくちゃいけないね。

ところで、この年末年始、僕はテレビをつけず、ソーシャルメディアにも触れずに10日ほどを過ごしていた。固く心に決めたチャレンジなんかではなく、なんとなくそうしたほうがいい気がして、ちょっと離れることにしたのだ。

テレビは普段からあまり見ないのだけど、SNSには習慣的に触れていた。実を言うと、暇があればスマホでFacebookやInstagarmを覗いているのが嫌だった。何かを知りたいわけでもないし見たいわけでもない。ただ癖のように見ていたのだ。正直、「こりゃよくないな」と思っていたところだった。

そもそも、なんで見てしまうのか。自分の見たものや考えたことを示し、人にOKをもらいたいのかもしれない。あるいは、寂しさを紛らわせるのもあるのかも。

テレビ&SNS断ちをしたおかげで、わりと静かにゆったりと自分だけの時間を過ごすことができた。こんなふうにBLOGを再開しようかという気分になったのも、静かな時間を持てたおかげだと言える。

僕は、人に相手にしてもらえると嬉しい。だが、ソーシャルメディアの性質上、僕が期待するほど人は相手にしてくれないものだ。そこにもやもやするのかもしれない。「おい、せっかく書いたんだからもっと読んでくれよ」とかね。そのように感じてそわそわしている自分が、実を言うと好きではない。あまり気軽に何かを発信しようという性質ではないみたいだ。発信するからにはちゃんと書きたい(描きたい)し、読まれたいし見られたいのだろう。

有名なSNSであるTwitterも、Facebookも、Instagramも、そもそも「利用者を幸せにしよう」という目的だけで運営されていない。営利を目的にしている会社組織が運営しているわけだから、使う僕たちが彼らの作ったビジネス的なしくみに組み込まれていることは、ちょっと考えればわかる。

SNSは、言うまでもなく、どのように効率よく人の関心や行動を操るのかというところにフォーカスして運営されている。人からの承認を稼ぎたくなるように、気になって仕方がなくなるように、一度アプリを開けば接続し続けたくなるように、利用者を仕向けている。そのためにありとあらゆるデータをとって検証をおこない、より頻繁に、長く利用されるように、改良されているはずだ。

僕はスマートフォンアプリのゲームを開発する会社で働いていたことがあるので、利用率を上げるために、言い換えると儲けを出すために行われていることを想像するのは難しくない。

これが悪いと言いたいのではなく、SNSでは僕たちがただコミュニケーションをやっているように見えて、実は同時に誰かの意図に乗っかっているということを覚えておきたいなあ、という話だ。僕が思わずアプリを起ち上げて見たくもない人の自慢を見てしまったり、見たことや体験したことを言いたくなったり、寂しさを感じたりする裏側には、そのように仕向ける何かが働いているかもしれない。

だから、自衛のために、もうちょっと冷静に利用しようと思う。絶え間なく関心を刺激された結果、「静かに熟考する時間」「なにかを吟味する時間」といった貴重なものが失われているから。

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