継続するということについて② 【やりたくても、やりたくなくても】

「継続」という話題の前回の投稿に、お友達からFacebookでコメントをもらった。「毎日絵を描こうと思ってたんだけど、一日坊主になっちゃう」って。僕は、「しょうもないマルから、嫌々描き始めたらいいんちゃう?」とお返事した。

これ、8割は冗談で、2割はマジでおすすめしたい気持ちだった。とくに、「嫌々やる」という点。というのは、何かを継続的にやるのに、僕は「やる気は当てにならない」と考えているから。日によって、あるいは時間帯によって、人間の体調とか気分は刻々と変わっていっちゃうもんじゃないだろうか。

僕自身に関して言うと、やる気があるときよりも、「めんどくせえ」と思っているときのほうが多い。運動や勉強といったものはおろか、好きなことであるはずの合唱さえも例外ではない。「おえ〜、電車に乗って行かなあかんの?今日はやめとこうかな」なんてことは、しょっちゅうだ(すいません)。

でも、例えば合唱なら、嫌々でも稽古に行ってしまえば、なんとなくあったまってくる。心も身体も。そのうち、やる気と呼べそうなものが持ち上がってくる。ランニングでも同じで、いつも「は〜めんどくさい」と言いながらシューズを履き、とろとろ走り始める。2kmくらい走ると次第に身体が動くようになってきて、「仕方ない、やるか」という気持ちになる。

続けるための前提となる「やる気」は、ほとんど信用してない。僕の場合、やり始めるためのやる気なんて、待ってても来てくれないもの。代わりに、「やり始めたら、あったまってくる」ことは、経験から理解している。だから、嫌々でも始めてしまったほうが良いって思っている。

このように考えているものだから、「一日坊主になっちゃう」というお友達には、嫌々「しょうもないマル」を描くことをおすすめしたのだ。きっと、「くそが」と暴言を吐きながらも「しょうもないマル」を描けば、その中にしょうもない顔なんかを描き込みたくなってくるかもしれない。そうしたら調子に乗って、ツノやら鼻水やらも描きたくなってくるに違いない(というのは僕だけかもしれない)。

なにはともあれ、やり始めるところからは始まるから(ややこしいね)、「とっかかりのハードル」は低ければ低いほうがいいと思っている。これについては、どこかで文章にできるといいなと思います。

あ、大事なことを忘れていた。もちろん、自分で「やろう」と決めることが、すべての始まりだと思います。ホンマに嫌なことは、そもそもそう思えないですよね。

始めちゃうと、あったまってきて、楽しくなってきた(ムキになってきた)。そのような経験はありませんか?

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