継続することについて④ 【習い事が続かなかった】

僕は、習い事が続かない子供だった。サッカーと水泳を習いに行ってたことがあったけど、なんとなくやりたくなくなって、すぐに辞めてしまった。

辞めた当時は、ものすごく申し訳ない気持ちになったように記憶している。今考えてみると、親の期待に答えられなかったことが、申し訳なかったんだと思う。

「そりゃ辞めるわ」と、今なら分かる。サッカーもプールも、自分からやりたいと思っていなかったから。

どちらも、「こんなのやったらどう?」と、親から勧められた。僕は、「どうやらやったほうが良さそうだな」という具合に、空気を読んで「うん」と答えたのだ。

「微妙!やらない!」と答えるべきだったと、当時の自分に言い聞かせたい。(親には「やる前から判断するな」などと言われたかもしれないということは、また別の話だ)

自分に動機がないのにやっているのは苦痛だった。水着の入ったバッグを持ってべそをかきながら「行きたくない」と訴えたことを今でも覚えている。サッカーも、血気盛んなガキの中で球の取り合いをするのは、意味不明だった。

なにがいいたいのかと言うと、結局、何かをやるかどうかは、自発的に決めないと続けにくいんじゃないかということ(まあ、子供だと難しいかも知れない。僕は難しかった)。

人から「やれ」と言われてやっているものだと、面倒くさくなっちゃったときに、人のせいにできてしまうんじゃないだろうか。

「やれ」と言われて続けた先に、手に入るものはあるかもしれない。だが、それが幸せかどうかって他人が決めるもんじゃないだろうと僕なんかは思う。世の中のお父さんお母さん、すみません。

幼い時の反動なのか、「〜したら?」という親からの勧めみたいなものには、思春期以来、一切耳を貸さなくなった。僕がマラソンやトライアスロンに興味を示したときに、「危ないからやめとき!」と言われたが、やってみると危ないどころかライフワークになった。

つまり自分がやると決めることが、肝心なんだと思うんです。大人がやることなら、とくに。

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