なりきってセリフを言うのは、わりと近道なのでは

「雷雨」というタイトルの、とんでもない悲劇を上演した。

僕が通っていた大学には「語劇祭」という演劇のイベントがあり、各学部の有志の学生が、自分の専攻している言語でお芝居をやっていた。僕はそこで4年間毎年、中国語で演劇を作っていた(中国語専攻だったんです)。これは3年生のときに上演した劇の脚本だ。

いま振り返ってみると、この「語劇」に参加していた学生は、外国語を話すことにわりと親しんでいたのではないかと思う。そして、喋られるようになるのが早い人が比較的多かった印象がある。

これはたぶん、舞台で言えるようになるために何百回も音読をし、外国語を身体で覚えたからなんじゃないかなって推測している。そこに更に「役になり切る」ことで、「このような状況ではこう言う」というような情報もセットで刷り込まれていたんだろう。

僕が学生のとき、ふとした瞬間に、ポンとセリフの一部が出てくるというようなことがあった。ほんとに刷り込まれていたのだ。

まあ、それが例えば、「それが当時の北京原人の生き方なのです。彼らは泣きたければ泣き、食いたければ食いました。」というようなセリフそのまんまだと、使えないわけだけど(笑)。しかしすくなくとも、単語を入れ替えたりすれば応用は出来る。

僕は演劇でこういう体験をしたわけだけれど、例えばキャラになり切って映画のセリフを音読しても、同じ理屈は通用するんじゃないかな。

というわけで、僕の英語のレッスンの生徒さんに、先日「ライオン・キング」のセリフの一部を音読してもらった。ご本人は面白がってたけど、シンバが親父にしつこく言われてた”Remember who you are(自分が何者なのかを思い出せ).”ってセリフなんかを言えるようにしておくと、「間接疑問文」と呼ばれるルールは直感的に理解できるようになると思うんです。

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